「市民工学」への期待

Posted by goro | 未分類 | 土曜日 4 6月 2011 10:56 PM

 おめでとうございます。
 畏友の山本卓朗さんが、第99代の土木学会会長に就任しました。
 しかし、「おめでとう」と言っていいのか、少し迷いました。この激動の時代に会長職にあるのは「ご苦労様です」の方があっているかもしれませんね。それでもホームページで抱負を読み、「土木改革、土木の市民工学への原点復帰」を掲げての会長就任と知り、これからの仕事に期待したい気持ちが盛り上がりました。フレーフレーのエールを送りたいと思います。

 市民工学とは、英語で土木工学を意味するCivil Engineeringsですね。直訳すれば市民工学。市民という概念がなかった頃の翻訳で土木工学になったのでしょう。
 市民工学とは、土木事業の目的は市民生活を豊かにするためにあるという思想を表していると思います。悲しい現実として、土木というと巨額のお金が動く利権の絡んだ巨大公共事業というイメージがありますが、そんなマイナス・イメージをぜひ払拭してくださることを願っています。

 ということで、文字通り微力ですが、山本さんに協力をしたいと思って資料を探っていたら、広井勇(1862-1928)に行き当たりました。
 広井勇は確か土木学会の6代目の会長でした。札幌農学校で土木を学びました。
 札幌農学校は、農業だけではなく土木も教えていました。明治初期に市民を豊かにする総合技術のセンターだったのです。同期生には、内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾らがおり、市民のために選ばれ市民のために尽くす者になるという情熱に溢れていました。
 広井勇は土木を専攻し、今日に残る小樽港の築港をはじめ、日本全国の港湾、橋梁、河川の堤防、ダムの建設に貢献しています。

 私も札幌放送局にいた時、小樽港に足を運んだことがあります。広井勇が築いた防波堤がなかったら、小樽港は存在しなかったことが素人にも一見して良く分かります。日本海の荒波が直撃する海岸を港にするなど到底不可能だったことでしょう。

 しかし、広井勇がいま大いに評価されているのは、優れた人材を育てたことにあります。広井勇の評伝「山にむかいて目を挙ぐ・広井勇の生涯(鹿島出版会、2003)」を著わした高橋哲郎さんは、広井勇に発する多彩な人材群を「広井山脈」と呼んでいます。

 そのひとり青山士(あきら)は、広井勇の助言に従って当時「世界最大の土木工学的実験場」といわれたパナマ運河工事に参加しました。パナマ運河最大の閘門は青山の設計によるものです。帰国後の仕事では、荒川放水路の岩淵水門、信濃川の大河津分水大堰が有名です。

 八田與一(よいち)は、広井の「日本人と台湾人とわけ隔てなく付き合うように」という助言を受けて、植民地だった台湾に赴任しました。有名なのは台湾南部の嘉南平原でダム湖と排水路を建設したことです。平原は広さⅠ5万ヘクタール、しかし雨季には洪水、乾季には飲料水もなく塩分の多い不毛の土地でした。詳細な調査を経て、烏山頭ダムをはじめ1万6000kmの水路、水門、発電所など4000の関連施設を完成させ、平原を豊かな農地に変えることに成功します。いまでも毎年、台湾の農民たちは、八田與一に感謝する祭りを催しているそうです。

 このほか、宮本武之輔、増田淳など、土木工学の、いや「市民工学」の歴史を飾る多士済済は、広井勇から発しています。
 山本卓朗さん、21世紀の広井勇になってくださいね。